鞆の浦 【広島県】
取材・文:森下真一
証言者 當田恵二さん鞆の浦漁協組合長の當田恵二さんは昭和7年生まれ。鞆の浦に続いた家系の二十一代目なのだそう。いまも現役だが漁場に恵まれたここでも近年は漁で暮らしを立てていきにくくなっているという。
セエやハネならいいが ドドのつまりは不吉 嫌われたスズキ老成魚
「どどのつまりいうじゃろう。これは縁起の悪い魚とされたもんじゃ」いいながら、當田恵二さんが指す図鑑の写真は、まったく意外なものだった。
え? スズキですか?
「これが大きゅうなるとドドになる。死に損ないじゃ」
広島県福山市鞆の浦(とものうら)。瀬戸内海のど真ん中に突き出た沼隈半島(ぬまくまはんとう)の先端に位置するこの港でもスズキはやっぱり出世魚。成長につれ呼び名が変わる。小さいものから順にセエゴ、セエ、ハネ、スズキとここまではぼくらのなじみの呼び名に近いが、さらに老成するとドドになるとは初めて聞いた。しかも、それが忌み嫌われた魚であるというのに驚いたのだった。
「とどのつまり」という。その語源はボラの老成魚の呼び名である「とど」に由来するとされる。一方で「どどのつまり」と濁る言い方もたしかにあるようで、それは単なる誤用なのかと思っていたが、実はそうじゃなかったのか。結局。畢竟。物事が思わしくない結果になったときに使われる言葉である。鞆の浦のドドは不吉をもたらすとされたという。
毛利元就が築城した鞆城跡に建つ鞆歴史民俗資料館からは漁港が一望できた
「浮いて流れるのが秋なんよ。大きゅうなって死にかけとるのんがなあ。そら見事なもんじゃが鞆の漁師はだれも拾わん。知らずに拾うて帰ると流行病にかかったり、家族が事故におうたりするいうてのう。周りの者がボーンと海へ捨てたもんよ」
若魚時代のセエやハネは、上品な魚としてよい値が付いたがドド級の大物はだれもが触れるのもいやがった。「さわるな、さわるないうて」と顔をしかめて手を払う當田さんの仕草が真に迫り、これはこの先オレのトラウマになっちゃうかも、なんて思ったりしたのだった。
「とど」の方のボラは、ここではまったく出世をしない。小さくても大きくてもただのボラである。なので別段嫌われることもなく、寒期の魚は臭みもなくおいしいと喜ばれた。それとは反対に真夏が旬とされたのはメナダ。これの小型をイナと呼び、一貫目(3.75kg)以上の大物は唇が真っ赤に色づくことからヒクチと呼ぶ。ヒクチはあらいがいける。川の色が変わるぐらい大量にいるイナは昔から値が付かなかった魚だが、戦時中は農家の人が大量に求めたという。農耕牛に食べさせたのだそうだ。当時、栄養価の高い飼料がほかになかった。
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さて。お待ちかね。プロの漁師の食の話はいつも楽しい。牛はさておき、ヒトが食べる魚については今月もまた、おお、そうだったのかと膝を打つ新知見がたくさん得られた。たとえばね、こんな話はどうです?
防潮堤の前の護岸にはシート掛けの出店が並び、瀬戸内の魚介を物色する観光客の姿が見られた。頭を落とし串刺しで干されているのはウシノシタ類。鞆の浦でゲンチョウと呼ぶ泥底に住む種。砂地に住む黒っぽいウシノシタはシャクリゲンというのだそう。これとサヨリの一夜干しがこの時期のメインのようだった
「大きい魚はなあ、いっぺん食べたらもうええぞ。大儀(たいぎ)なあ。ほじゃが、小魚なら十日続けてでも食べられる」
ううむ。まさに金言とオレは深く納得しちゃったのだが。
この言葉が発せられたのは、図鑑のページがハゼ科にさしかかったところだった。シロハデと呼ぶハゼの代表、マハゼを指したわけじゃない。これは本当は夏魚、冬はやせて骨と皮ばかりじゃとあっさりいなし、その写真の下の方、アカハゼに行き当たって當田さんの頬がゆるんだのだ。呼び名はブッツージャコもしくはブッツーハデ。シロハデとは逆に、寒い時期の子持ちが特上というこの小魚、鞆の浦の漁師の大好物だそう。頭だけをポンと落として煮る。焼き干しをお茶漬けにすると、おいしい出汁が出る。ほか、ドウブツハデと呼ぶウロハゼもいい。マハゼに似るがウロコが粗く厳つい顔つきのこのハゼは、昔は細い竹を切って数珠つなぎにしたのを海に沈めてとった。いまならジュースの空き缶などを沈めてもいいと笑う。
キス釣りの外道などに掛かり大口で指にぱくりと食いついてくるイトヒキハゼはトラハデ。小さいくせに、虎のように気性の荒いこいつは「干して、かたかたにして佃煮、昆布巻きの芯にも」した。かつてエビ網に大量に乗った魚だが、最近はそれほど多くないという。
ほか、ギギと呼ぶヒイラギは「魚食い」じゃなければ食わない魚、網からするりと抜けてしまうことからヌケイチというギンポもおいしい魚で、これは鍋にする。腹も出さずにそのまま丸ごと鍋に放り込むと硬い音がするのでナベタタキという別名もあるのだそうだ。




